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                   古典文学 
             
             
              今、「古典」が静かなブームになっているそうですね。新訳文庫も出版され、 
              若者の間で自発的に読まれているそうです。そう言う私のかばんの中には、 
              「カラマーゾフの兄弟」の上巻が、しおりが挟まった状態で、読まずに半年以上 
              放置されています。 
             
             
              外国の古典文学って読みにくいんですよね。私も十代の頃から何度かトライして 
              いるのですが、一度も読了したことがありません。唯一面白いと思ったのは、 
              中学生の時に読んだ「マーク・トゥエイン」くらい(古典文学か?)。 
              ヘミングウェイやサリンジャーなども読んではみたものの、全然面白くないので 
              途中で放り出してしまいました。 
             
             
              だいたいお堅い純文学だから苦手なのではなく、外国人作家の本自体苦手で、 
              普段から殆ど読みません。なぜなら、登場人物の名前が覚えられないので、 
              途中で訳が分からなくなってしまうからです。そういった苦手意識を持つきっかけ 
              になった本を、今でもはっきりと覚えています。それは忘れもしない、中学生の 
              時に少し背伸びをして読んだ「レイモンド・チャンドラー」・・・。 
              あれさえ読まなければ、これほどの苦手意識もなかったように思います。 
             
             
              「カラマーゾフの兄弟」も、実は二度目のチャレンジです。一度目は図書館で 
              借りて読んだのですが、非常に読みにくい文体でなかなか進まず、上巻の途中 
              で時間切れになってしまいました。半年ほど前に購入したのは同じ原 卓也さん 
              の訳なのですが、だいぶ改稿されていて読みやすくはなっていますが、それでも 
              そう簡単には進みませんね(途中で違う本を読み始めてしまうから?)。 
             
             
              なぜまたそれを読もうと思ったのかと言うと、以前読んだ本(何かは忘れた)の 
              あとがきに引用されていた「カラマーゾフの兄弟」の一節、「神父様、少々おつめ 
              願います。化学(科学?)さまのお通りですから」という一文に、なにか現代社会 
              にも通じるものがあるように思えたからです。やはり、名作と呼ばれる作品には 
              なにがしかの「真理」が描かれているのかもしれませんね。当分その場面には 
              行き着きそうにありませんが、何かを感じることを期待して、今読んでいる本を 
              読み終わったら、また読み始めようと思っています。 
             
             
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